からむこらむ
〜その225:つなげる、引っ張る〜


まず最初に......

 こんにちは。1月も早半ば過ぎ......前回の与太話から早くも半月以上と、いやぁ早いものです。
 三が日のあのゆっくりとした時間の推移と比較すると、すごいものがあるよなぁ、などと思ってしまいますが。

 さて、そういう事で今回のお話ですが。
 今回は高分子化学の話をしようかと思います。ま、皆さんの周囲にある線維についてなのですが。その開発には一人の天才といって差し支えない科学者が存在していました。その科学者と発明品の話をしようと思います.......まぁ、構造式が多いんですが(^^; 分からない方は「ふ〜ん」程度でもまぁ大丈夫でしょう、イメージはつかんで欲しいですが。ただ、高校生以上というか専門の学生さんは初歩中の初歩と言う事でちゃんと頭に入れておきましょうね(^^;
 それでは「引っ張る線維」の始まり始まり...........



 現代の生活において「必須」と呼ばれる物はいくつもありますけれども。
 「化学」と言う分野が発達してからたくさんの物質が生まれてきました。それらの物質はまさに現在の我々の生活に「必須」と言えるものをたくさんもたらしていますし、そのおかげで多く生活の向上や技術の発展が見られてきた、と言う事は詳しく語るまでもないでしょう。
 今回は、たくさんあるそのような話の中から、ある天才が生み出した物について触れてみたいと思います。

 さて、ところで現在有機化学などをやっていると基本的な、物質の単位としては「分子」と言う物があります。
 このような分子、何かと言うと原子より構成される、化学的な性質をもった最小の単位なのですが......ま、いわゆる「水素」であれば、水素原子が二つで構成されていますし、水であれば水素原子が二つと酸素原子が一つ、と言う形で構成されています。
 しかし、この分子の量を示す分子量は水素分子は「2」、水は「18」と言った小さいものですが、こういった原子が数千個以上も繋がり、分子量が数万となるような「分子」は20世紀初頭には存在しないだろうと考えられていました。今現在、小さい分子がいくつも連なって大きな分子を形成するもの......例えばアミノ酸が連なったたんぱく質や、過去の「からむこらむ」であればテフロンなどと言った、いわゆる「ポリマー(polymer)」と言うものの概念については1923年、ドイツのヘルマン・シュタウディンガー(Hermann Staudinger)が提唱するまで存在しませんでした。
 シュタウディンガーはこの時、「ポリマーは小さい分子が多量に繋がった物である」と言う概念を打ち立てました。しかし、当時最も有力視された学説は「未知の化学的な力により、小さな分子が集合体になった物であろう」と言うものでした。この説は当時の「通説」でして、根本的にシュタウディンガーの説とは対立をします。
 しかし、シュタウディンガーは自らの説の正しさを実証する実験を繰り返し、そしてそれは成功を収める事になります。
#専門的注:コロイドを利用してこれを証明しました。
 彼はポリマーについての化学である「高分子化学」と言う分野の創始者となって活躍し、そして1953年にはその功績によりノーベル化学賞を受賞することになる......もっとも、提唱した当時において学会では全く彼の考えは相手にされず非常に苦労する事になります。
 しかし、当時認められなかった彼のこの考えは、ある人物に大きな影響を与える事になります。


 有機化学及び高分子化学、また化学工業の世界の「いずれも」で名を残す人はあまり多くありません。
 しかし、ウォーレス・ヒューム・カロザース(Wallace Hume Carothers)は間違いなくこれら分野で名を残した人物であると言えます。事実彼の研究した事とその後の工業などへの影響を考えれば、確実にノーベル賞を手に入れる事ができたと考えられている人物でした。
 カロザースは1896年4月27日にアメリカに生まれた人物でして、1924年に理学の博士号をイリノイ大学で、白金触媒で著名なロジャー・アダムスの下で取得します。とにかくも優秀な人物でして、その後サウスダコタ大学で助手をしてからイリノイ大学に復帰。この時に最優秀者に与えられる奨学金を取得。その後、同大とハーバード大で講師をした後、1928年には両大学から「これまでで最も優秀な有機化学者」と言う推薦をうけて、世界最大の化学会社であるデュポン(DuPont)社へ招かれる事になります。
 デュポン中央研究所へ招かれたカロザースは、この時まだ32歳。ポストは有機化学部長で二十人以上もの助手を抱えるチームのリーダーとなります。
 そして、カロザースのチームが挑んだのは、「天然に存在する物質の構造の解明を行い、それに類似した化合物の合成方法の研究」というものでして、特に今で言えばゴムなどの高分子化合物を対象としているものでした。これは今の視点で見れば高分子化学の分野への探索であり、またシュタウディンガーの高分子説の実証となる研究でもありました。

 カロザースが着手した高分子はいくつもあります。例えば上述の糖であるセルロースはそうですし、絹、そしてゴムといったものも対象として含まれます。その対象となったこれらの物質の分子構造の解明を行っていきます。
 そして人工的な手段により、これらの物質を合成していく......その最初のターゲットとなったのはゴムでした。

 ゴムの歴史はそれほどは古くはありません。
 このゴムの「発見」にはアメリカ大陸の「発見」で著名なコロンブスが絡んでいまして、1493年の第2回アメリカ遠征の時に、ハイチ島で現地住民がボールで遊んでいるのを見付けた事に由来します。コロンブスはそのボールが天然ゴムの木の樹脂を固めたものである、と言う事を聞き出し、これがきっかけで欧州にゴムが知られることとなります。
 そのゴムの利用方法、実は最初はいわゆる「消しゴム」だったようで、英語のrubberは「こするもの」、つまり消しゴムとしての使用に由来するようです。ちなみに、日本語「ゴム」はオランダ語gomに由来します。この言葉もラテン語の樹脂を意味する「gummi」に由来するようですが。

 ついでですので、現代に通じる利用についても触れておきましょう。
 ゴムの利用は実は欧州に紹介された後にあまり発展はしていません。事実、本格的に使われるようになるのは1820年代、長靴がゴム製になった事から始まります......もっとも、この時のゴムは非常に使い勝手が悪く、温度の変化でゴム製長靴にひびが入って割れてしまうなどの大きな問題がありました。
#そしてそれをふさぐ為にセメントを使うと言う様な事もあったようですが......
 実際、長靴にゴムを使ってもゴムの性質上色々と使い方は難しいものがあったようで、本格的な発展はそれほどはしていないようです。しかし、間も無くそのゴムの利用には大きな変化が訪れます。同時に、それは現在のタイヤメーカー大手の原点ともなりました。
 その最初のきっかけは1839年、生ゴムに硫黄を加える「加硫」によって弾性を増す方法を偶然ながら見付け出し、大幅に利用価値を高める発見にあります。これを見つけ出したのはアメリカのチャールズ・グッドイヤー(Charles Goodyear)でして、彼の名は同名の会社名としてよく知られていると思います.......ただし、グッドイヤーは同社に一切関係しておらず、会社側を作った人物が彼に敬意を表してつけたものです。
#グッドイヤーの逝去は1860年、グッドイヤー社の創立は1898年。
 そして、加硫法発見から約50年後の1888年、今度はイギリスの獣医師だったジョン・ボイド・ダンロップ(John Boyd Dunlop)が自転車用の空気入りタイヤを開発(とは言っても1845年に同様の特許があり係争が起きています)。さらに1895年、当時徐々に広まりつつあった自動車用のタイヤがフランスのミシュラン(Michelin)兄弟により開発。彼らはこのタイヤををレースで初めて使います.......もっとも、このタイヤはレース中はパンクだらけで大変だったらしいですけどね。
 なお、余談ながらこのミシュランが、自動車の普及と自社の宣伝を兼ねて始めたのが「レッドガイドブック」、あるいは「ミシュランガイド(Michelin Guide)」と呼ばれる物です。「三つ星レストラン」等で有名でしょうが、都市毎のホテル・レストランの評価を三つの星で段階分けするもので、1900年のパリ万博で無料配布(1920年まで無料だった)したのが始まりとなります。
 なお、自動車用タイヤの本格的な使用は、20世紀初頭の名車「T型フォード(Ford Model T)」からとなっています。
#ゴムが登場するまで、「タイヤ」とは木製の輪の外側に鉄の輪をはめたものでした。

 肝心のゴムに話を戻しましょう。カロザースのチームは研究により、天然ゴムの基本的な構造がイソプレンであると理解します。
 イソプレンは過去に触れた通り、様々な植物・及び動物に関連している化合物でして、このイソプレンを元にした化合物がたくさんある事が知られており、そのような物は一般に天然物化学などといった分野でよく研究されています。



 このイソプレン、どのようにゴムと絡むかと言うと実はこれがどんどん連なった、つまりテフロンの時に触れたようにイソプレンが重合し、連なった物です。もう少し化学的に言えば、イソプレンをモノマーとし、ポリマーとなったポリイソプレンがゴム、と言う事になる。



 そこまで分かれば理屈の上では自然と同様にイソプレンを用意してこれ重合させていくと、結果として天然と全く同じゴムが得られる事になる。
 しかし、理屈はそうでも、実際と言うものは非常に違うものである.....これはどの分野でも言える事でしょう。事実、このゴムについても同様でして色々とやったものの簡単にはできない。
 これに対して、カロザースがとった手法は原料となるイソプレンではなく、これに類似したクロロイソプレンを原料とする事でした。そしてこれを重合してポリマーを作り、1930年4月17日にクロロイソプレンのポリマーとして、「クロロプレンゴム」を作り出します。



 専門的な注意としては、カロザースのクロロプレンはトランスで、天然のイソプレンゴムはシス型と言う事に留意する必要があるでしょう。この手のゴムはトランス形は一般に硬くて弾性がない傾向があるようです。
 このクロロプレンは、合成過程に様々な工夫、例えば加流したりあるいは圧力を変えるなどして実用的な合成がなされ、最終的に耐油性に優れたものとなります。デュポン社はこのクロロプレンを採用して、翌1931年に「デュプレン(Duprene)」として  後の1936年に改良を受けて「ネオプレン(Neoprene)」と改名されて販売される事となり、使い勝手の良いゴムとして使われる事となります。
 このクロロプレンの合成は非常に意義があるものとなります。
 このゴムは世界で初めて作られた合成ゴムであり、同時に人類が天然高分子に近い化合物を合成によって手に入れた最初の事例となりました。そして、デュポン社は同時に世界で最初に合成ゴムの実用・商品化を行った事になります。
 さらにこのゴムの合成の成功は、同時にシュタウディンガーの高分子説の実証ともなりました。
#なお、現在は技術が進んでいますので天然に近いイソプレンゴムの合成は可能となっています。


 このような成果を収めたカロザースのチームは、この成功の後に次のターゲットとして「絹に似た線維を作る」と言う方向を定めます。
 一応、それまでにも人工......と言うとまた難しいですが「人の手を経て自然にはない線維を作る」と言う意味で人工的に作られる線維は存在していました。これにはセルロースを元に開発したものが多く、ニトロセルロースをベースとした線維はすでにたくさん出てきます。つまりレーヨン、ビスコース、アセテート等の人絹が存在していました。
 もっともこれらの原料は全てセルロースであり、パルプを元として製造されていた為に一から合成されたものではなく、そういう意味では「完全な人工繊維」とは言えませんでした。事実、分類上では銅アンモニアレーヨン、ビスコースレーヨンなどは「再生繊維」であり、アセテートレーヨン等は「半合成繊維」などと区分されています。
 これに対し、カロザース達の作る線維とは一から合成を作ると言う意味で、完全な「合成繊維」を作る事でした。
 彼らはこの目的の為にいくつかのターゲットとする化合物の候補を挙げていきます。一つはカルボン酸とアルコールから生じるエステル(ester)のポリマーである「ポリエステル(polyester)」。一つは生体成分でもあるたんぱく質を模した、つまりたった20種類のアミノ酸より構成され、これらが連なる事で生じる「ポリアミド(polyamide)」と総称される物質でした。
 基礎研究は1934年頃には終わります。ポリアミドもポリエステルも彼らは着手するのですが、研究の結果ポリアミドの方はどうも有用な性質が見つからず、一方でポリエステルの方は溶けやすく扱いやすい、つまり実験をやりやすいと言う性質がありました。この為、カロザース達はポリアミドよりもポリエステルの方の合成に目を向け、ポリアミドは研究室の棚の隅に追いやられる事となります。

 では彼らがメインに据えたこのポリエステルとはどういうものか?
 今でもこの名称は使われている通り、合成繊維として使われているものです。これを理解するにはまずこれを構成する「エステル」とは何か、と言う事が問題になる。
 やや専門的(とは言えど、高校レベルの有機化学でもあるのですが)になりますが、エステルとは化学の分野でカルボキシル基「-COOH」と言う官能基をもつ「カルボン酸」と呼ばれる一連の酸と、ヒドロキシル基「-OH」の官能基をもつ「アルコール」の二種類の物質を反応させて生じるものです。



 一応、それぞれの構造と代表を書いておきました。メタノールとエタノールなどのアルコールに関しては以前触れているのでご参考まで。
 そして、これらをある条件で反応させると次のような反応を引き起こします。



 カルボン酸とアルコールの赤い色になっている部分がとれて水を出す脱水反応です。一般にこのエステルのもつ結合を「エステル結合」と呼んでいます。
#学生さんは、カルボン酸の-OHとアルコールの-Hで水を生じているのを証明する方法や、「なぜヒドロキシル基とカルボン酸の水素ではないのか」と言う部分を考えると良い勉強になるでしょう。
 これが基本的なエステルなのですが、これだけではいわゆる「線維」にならない。
 しかし、世の中にはエチレングリコールの様にヒドロキシル基「-OH」を二つ(あるいはグリセリンの様に三つ)構造中にもつようなものもありますし、同様にして「ジカルボン酸」と呼ばれる、カルボキシル基を二つもつ化合物もあります。このような物質でエステルを作れば? つまり以下の図のような事が起こることになる。



 この図を見ると、青で示したように「余った」、つまりさらに結合に使う事のできる「-COOH」と「-OH」が出てくる事になる。つまり「-COOH」側には別の「-OH」を、同様に「-OH」側に別の「-COOH」を反応させる事ができるので、結果的にさらにこの分子を伸ばす事が可能になります。つまり、エステル結合を連続させていく.......この結果、エステルのポリマーであるポリエステルができる事となります。



 カロザース達のチームはこのポリエステルの研究を進めていきます。
 ところがカロザース達の作り出すポリエステルは、本来の目的となる繊維用には適したものは中々できませんでした。たくさんの化合物の組み合わせからポリエステルを作り出していくものの成果は出てこない。
 事実、彼らは目的としていた「絹に似た線維を作り出す」研究を見限ろうと言う結論を出そうとします。
 しかし共同研究者の一人、ジュリアン・ヒルはこれを大いに覆す発見をする事になります。

 この話は若干のバリエーションと言うか、関係者で若干の相違があるらしいのですが、基本は変わらないので良いでしょう。
 当時の研究者達の証言によれば、ポリエステルの研究の中でジュリアン・ヒルがある時、ポリマーの小さな玉を撹拌棒の先端に集めてこれを引っ張ってみた所、引っ張られたものは糸状の線維となりこれが外見上絹に似ていると言う事に気がつきます。この事は注目を集め、ある日カロザースが町に出ている時に、ヒルと同僚らで作った試料をどれだけ引っ張る事ができるか試そうと言う事になり、彼らは撹拌棒の先に小さい玉をつけて大きな部屋の中を走り回り、糸を引いてみると、糸の外見が絹に似ており、また強さも増していると言う事に気づきます。つまり線維として利用価値があるものができそう、と言う事になる。
 これが世界的な発明の瞬間となります。

 様々な試料を検討してみた結果、彼らが手を付けていたポリエステルは融点が低く問題がありました。この為、彼らは「見込み無し」として棚の隅に放置していたポリアミドの方を再び「引っ張り」出します。
 そして、ポリエステルと同様に撹拌棒の先端に玉のポリアミドをつけ、これを引っ張ってみるとポリエステルと同様に長い糸を引く事となりました。そしてその物性は線維としてふさわしく、これによって彼らは望んでいた「絹に似た線維を作る」目的を達成する事ができそうだと言う事になります。
 彼らにより発見されたこの「引っ張る」と言う方法、「たったそれだけ」と思われるかもしれませんが、これは「冷延伸法」と呼ばれ化合物を線維とするとともに、強度を増すと言う非常に優れた方法となりました。
#もちろんこれに気づいたヒルらの観察眼の鋭さもまた優れていたと言う事になりますけど。
 そして、このポリアミドは世界的に最も優れた発明品の一つとなりますが.......

 今回は長くなりました。
 次回はこの続きと行く事としましょう。




 さて、今回の「からむこらむ」は如何だったでしょうか?
 とりあえず科学史上では結構有名な話なんですけどね。まぁ、構造式が多くて、と言う方もいらっしゃるかもしれませんが(^^; その場合は何となく、と言う事で。有機化学をやっている人は当然、と言うレベルの話になりますけど......まぁ、偶然から見つかった話なんですがね。
 これがまた生活を変えて行くものとなります。

 そういう事で、今回は以上ですが。
 次回はこの続きと言う事にしようと思います。カロザースらのポリアミドは? そしてカロザースは?

 そう言うことで、今回は以上です。
 御感想、お待ちしていますm(__)m

 次回をお楽しみに.......

(2005/01/18公開)


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